昨年の12月16日、南極観測船(砕氷船)“しらせ”に搭載されているヘリコプターに乗り昭和基地に到着した。前次隊に続きコロナウイルスを南極へ持ち込まないために2週間の隔離期間を経て日本より “しらせ”で出国し、1か月以上の長い航海を終えた瞬間だった。到着した南極は、自分の描いていたイメージとは程遠く日本の工事現場のようだった。雪よりも土の場所が多く重機やトラックがたくさん走っている。そんな衝撃を受ける間もなく、“貨油”とよばれる燃料600kLを24時間体制で船から基地のタンクへホースで送油したり、深夜に雪上車に橇を連結し物資を輸送する氷上輸送をしたり、電気工事や土木工事などに従事していたら、あっという間に年が明けた。

 昭和基地に到着しました!

 パワーショベルを使用した作業

私が専門に担当する仕事は観測隊で“制御”と呼ばれ、発電機制御盤の保守管理をはじめとして、太陽光発電設備や風力発電設備の保守、電力使用量の監視やデータ取得など生活に欠かせない電気関係全般を取り扱う重要な仕事である。62次隊の制御隊員より設備や各種試験方法などの引継ぎを受けていると、責任の重大さを改めて実感した。

 保護継電器試験の様子

1月26日には制御担当隊員どうしの引継ぎの集大成となる計画停電が実施された。計画停電とは、発電機を意図的に停止させ基地を全停電させることで、停電が発生してしまった際の手順確認や、停電していないと工事ができない作業を行う、非常に重要な行事である。作業中、ふと耳を澄ますと、エンジンが止まった昭和基地は不気味なほどに静かで、うるさいと感じるエンジン音がいかに安心して生活できるための音なのかを実感した。

 計画停電での制御盤操作の様子

そして2月1日になると大きなイベントが2つあった。1つ目は、深夜0時に日付が変わった瞬間に発電機制御盤に実装されている発電機の運転時間計をリセットする“リセット式”である。この瞬間より63次隊の機械隊員に設備運用が引き継がれた。その後、昭和基地の看板が掲げられている19広場にて越冬交代式が行われ、越冬交代が宣言されるとすべての運営が我々63次越冬隊に引き継がれた。

32名で過ごす昭和基地生活もすでに2ヶ月が経過した。これまでにブリザードが何度も襲来したため、土一面だったところにも雪が付き、気温もマイナス20℃まで下がってきて南極らしさが見えてきた。大変な仕事もたくさんあるが毎日が新鮮で楽しく充実した日々を過ごせている。

(掲載協力:国立極地研究所)